「だるま」のモデルとなったのは禅宗の祖で菩提達磨(達磨大使)という実在のお方です。 南インド香至国第三王子として生まれ、般若多羅尊者に仏法を学び、 やがてお悟りを開いて、お釈迦さまから数えて二十八代目となられました。
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「だるま」のモデルとなったのは禅宗の祖で菩提達磨(達磨大使)という実在のお方です。 南インド香至国第三王子として生まれ、般若多羅尊者に仏法を学び、 やがてお悟りを開いて、お釈迦さまから数えて二十八代目となられました。
その達磨大使が中国に渡り、嵩山少林寺で面壁九年の座禅されている姿が「だるま」となったのです。 赤い色は当時達磨大使が着てこられた法衣の色で底を重くして倒しても自然に起き上がるように 作られているのは座禅の心を形にしたからです。
起き上がり玩具は中国の不倒翁が伝わり「起き上がり小法師」として室町時代に流行しました。 そして江戸時代中期に達磨大使の教えと合体したのです。 さて、高崎だるまは少林山に由来します。 少林山達磨寺水戸黄門・徳川光圀公の帰依を受けた中国からの渡米僧・東皇心越禅師が 元禄十年(一六九七年)に開山されました
それから百年ほど後、浅間山が噴火して天明の飢饉がおこりました。 九代住職・東嶽和尚は農家の人々の苦しい状況を見かねて、心越禅師の画かれた一筆書きの 達磨像をもとに木型を彫り、豊岡の山縣朋五郎に張り子だるまの作り方を伝授したにが高崎だるまの 始まりで、二百年ほどの歴史があります。
赤い色は子供の疱瘡よけのまじないとして喜ばれ、又、よく〈起きる〉ということから養蚕の大当たりや 商売繁盛・開運の神として次第に縁起物の代表格になりました。 (群馬県達磨製造協同組合パンフレットより)
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